「大工・川原家と教会堂建設」展 解説 – 12

カナダに残る中町教会復興工事写真

中町教会堂は、カナダ・スカボロ宣教会のフレイザー神父が、北アメリカの支持者から費用の4割の寄付を得て、再建しました。
寄付を募るために撮った写真が、トロントの大学図書館に残ります。

宮崎広和博士から、「写真の裏にフレイザー神父と”Architect Kawahara”と書かれている」と連絡がありました。”Architect Kawahara”、すなわち大工で設計者の、川原正治さんです。
写真にフレイザー神父と並んで写っているのが、正治さんです。

今回の展示した中で一番大きな模型は、中町教会堂の明治時代の姿です。京都の大学院生、檜皮拓也さんの制作しました。ステンドグラスまで再現されています。
他の模型は、縮尺100分の1で作られています。
ぜひご覧になり、各地の教会堂を見比べてみてください。

「大工・川原家と教会堂建設」展 解説 – 11

津和野教会堂が結ぶ縁/台湾における川原正治

津和野教会堂の建設は、正治さんが門司で時計屋を建て、それを見た津和野の信者さんから依頼だったそうです。門司の時計屋は、今もお店が続く、吉田時計店です。

上棟式の写真を見せてもらいました。
真ん中の背広を着た大柄な人が正治さんだと思われます。

第2次世界大戦中、正治さんは古川重吉神父と一緒に台湾に渡ります。

戦時中、ドミニコ会の外国人神父様が台湾の港町に滞在できなくなったため、長崎から行った里脇浅次郎神父様と古川神父様が台湾の教会を守りました。
1945年になると、里脇神父様自身も兵役に召集され、教会堂は爆撃で損傷しました。

里脇神父様と古川神父様は教会堂をできるだけ修理し、1946年に帰国しました。正治さんも、その修理に加わったと思われます。

里脇神父様のいた高雄教会、古川神父様のいた樺山教会を写真で紹介します。

「大工・川原家と教会堂建設」展 解説 – 10

【パネル10】川原家に伝わる教会堂図面

伝次郎さんのご子孫の家に、黒崎教会堂の計画図面の写真が残ります。

封筒に入っていて、中町教会の大崎八重神父様から、黒崎の岩永神父様に届けられたものです。
封筒は再利用で、裏面はドイツからド・ロ神父様に届いたものです。
図面の教会堂は、出津教会堂の最初の姿の似ています。

したがって、黒崎教会堂の設計にド・ロ神父様が関わったことを裏付ける封筒と図面です。

「大工・川原家と教会堂建設」展 解説 – 9

稲佐・中町・善長谷教会堂 — 戦後の再建

原爆の被害を受けた長崎では、戦後、教会堂の再建が行われました。

中町教会堂では、焼け残った明治のレンガの壁を活かし、鉄骨コンクリート造で再建されました。
中町教区の稲佐教会堂や善長谷(ぜんちょうだに)教会堂も、戦後に教会堂が新築されました。
善長谷教会堂は正治さんが最後に手掛けた教会堂です。

「大工・川原家と教会堂建設」展 解説 – 8

八幡・戸畑・大牟田の教会堂

昭和初期、工業都市として発展した北九州や大牟田にも、川原家は教会堂を建てました。

八幡(やはた)教会堂や戸畑(とばた)教会堂では、正治さんの義弟で弟子の大石政吉も活躍します。
これらの教会堂は戦時中の空襲や接収によってわずか10年で失われましたが、写真や図面から当時の姿を知ることができます。

八幡教会堂は、津和野教会堂によく似ています。

「大工・川原家と教会堂建設」展 解説 – 7

門司・津和野・新田原の教会堂

1930年の門司教会堂は、福岡教区の始まりを告げる存在です。
関門海峡を臨む山の斜面に、高い塔をもつ華やかな外観で建てられました。その姿は海峡の船からよく見えました。

この仕事がきっかけとなって、正治さんは津和野教会堂の建設を任されます。
津和野教会堂は、イエズス会の紋章を正面につけました。内部は平らな天井で、中央部分を高くして三廊(さんろう)式風に表現しました。

新田原(しんでんばる)教会堂は、以前の地名は京都郡(みやこぐん)でした。川原家では「正治さんは『みやこ』に行った」と言われていたそうで、これも3代目の教会堂です。

「大工・川原家と教会堂建設」展 解説 – 6

山野・呼子・馬渡島の教会堂

平戸の山野教会堂は、天井裏の板切れに3代目・正治さんが建てたことが書き残されていました。
キリシタンの聖地、生月島(いきつきじま)を臨む場所に山野教会堂はあります。

1927(昭和2)年、カトリック福岡教区が設立され、福岡、佐賀、熊本県がひとつの教区になりました。川原家も福岡教区の教会堂を手掛けます。

呼子教会堂と馬渡島(まだらしま)教会堂は、紐差(ひもさし)教会堂の建て替えにともない、旧紐差教会堂が馬渡島へ、旧馬渡島教会堂が呼子へ移築されました。
馬渡島教会堂の塔は、移築のときに加えました。

「大工・川原家と教会堂建設」展 解説 – 5

旧大名町・神ノ島・黒崎の教会堂

2代目・忠蔵さんの時代には、レンガ造の本格的な教会堂が各地に建てられました。
旧大名町教会堂では、正面に三角形の壁を立ち上げ、レンガ積みをデザインとして見せる点に、川原家の特徴が表れています。

神ノ島教会堂や黒崎教会堂では、大規模な三廊(さんろう)式が採用されました。
黒崎教会堂は、長崎県で最後に建てられたレンガ造の教会堂です。3代目の正治さん、伝次郎さんも参加し、川原家の集大成ともいえる存在です。

この3つの教会は、三角の切妻屋根で玄関を手前に張り出し、内部は三廊式、半円のリブ・ヴォールト天井、そして天井を板張りにしてペンキを塗る点が共通しています。

「大工・川原家と教会堂建設」展 解説 – 4

旧紐差・旧馬込・大野の教会堂

旧紐差(きゅうひもさし)教会堂は、初代・久米吉さんの最晩年の建築です。現在の鉄川与助設計の鉄筋コンクリート教会堂の前は、川原家が手掛けました。
最近、国会図書館のデジタルコレクションで写真が見つかりました。外観は江袋教会堂によく似ています。
この建物は1929年に移築されて、現在は馬渡島(まだらしま)教会堂として残っています。

旧馬込教会堂は、伊王島に造られた国内最古のコンクリート教会堂です。ここからは2代目・忠蔵さんの時代です。

大野教会堂は、外海の伝統的な石積みにド・ロ神父様の工夫を加えた「ド・ロ壁」が使われています。
地元の石を使い、雨風に耐えるように工夫されました。

「大工・川原家と教会堂建設」展 解説 – 3

大浦天主堂と江袋・出津の教会堂

初代・久米吉さんが関わった代表的な教会堂が、大浦天主堂です。1864年に完成したこの教会堂は、日本のキリスト教復活の象徴です。

久米吉さんは、他の大工たちと建設に参加しました。のちにキリシタンであることが知られ、捕らえられた記録も残っています。

江袋教会堂は1882年の建設で、木造の現役教会堂としては最も古いものです。外から見た姿は、まるで民家のようです。
しかし内部は正面に祭壇があり、三廊(さんろう)式、リブ・ヴォールト天井の正統的な教会堂の姿です。大浦天主堂の経験が生かされています。

同じ頃に建てた出津教会堂は、最初は江袋教会堂と似た姿でした。10年後、20年後に行った増築を経て、現在の姿になりました。